期待され続けているキッカー



さて、本日のキッカー紹介は、
サンフランシスコ・49ersKジョー・ネドニーです。


以前、アトランタ・ファルコンズKトッド・ピーターソンを紹介したときに、
「これぞキッカー」という経歴の持ち主、と書きましたが、
ネドニーも負けてません。
・・・って、こんなところで勝ちたくもないでしょうが。


ネドニーは、1995年に、ドラフト外グリーンベイ・パッカーズに入団。
しかし、8月になって解雇されてしまいます。


もはや、出だしの文章は「定型」になってますが、
ネドニーの違うところは、この直後、たった2日後に、
オークランド・レイダーズプラクティス・スクワッド枠に、
潜り込んでいることです。
どこかで目を付けられていたのでしょうかねぇ。


しかしながら、9月に入って、レイダーズからも解雇されてしまいます。


・・・のに、その2週間後には、
今度は、マイアミ・ドルフィンズプラクティス・スクワッド枠へ。


これが凄いことなのかどうか、判断が付きにくいかとは思いますが、
その後のことを考えると、ネドニーへの期待には高いものがあって、
どのチームも、確保できるものならば確保しておきたかった、
ということになるのかもしれません。


翌年、晴れて、ドルフィンズから全16試合に出場します。
が、成績は散々なものに。
フィールドゴールの成功率は良くないは、長い距離もダメだは、
トライフォーポイントのキックも外すは・・・。


翌年8月、ウェイバーリストに載せられてしまいます。
そこで、ニューヨーク・ジェッツが獲得していますから、
まだまだ「期待」は高かった、ということでしょう。


・・・と思いきや、2週間後にジェッツを解雇。
もう、なんだか、ネドニーは凄いんだか凄くないんだか、
よく分からなくなってきます。


まだこの年は終わらないですよ。
10月になって、再びドルフィンズと契約を結びます。
が、なんと、たった3日後に解雇。


このあたりの経緯は、正確には分からないのですが、
この「3日間」には、日曜日が含まれています。
恐らく1試合出場し、成績が芳しくなく解雇された、というところなのでしょう。


まだまだこの年は終わらないですよ。
その9日後、今度は、アリゾナ・カーディナルズと契約を結びます。
そして、この後、ずっと試合に出場し続けることになりました。
・・・相変わらず、成績は良くないままなのですが。


これで、ようやく1997年が終了。


どうも、ここまでの経歴を見ていると、
「期待は高い」→「でも成績は悪い」→「解雇」→「でもまだ期待は高い」
という繰り返しになっているように思います。


解雇されて、すぐに次のチームと契約を結ぶことって、
そんなに簡単なことではないはずなんですよね。
それを何度も繰り返しているんですから。


いつになったら、ネドニーはその高い期待に応えられるのか・・・。


翌年、1998年は、カーディナルズに残留。
試合に出続けますが、12月に膝を怪我してしまい、インジャリーリザーブ入り。
結局、この年も成績は良くありませんでした。


ちなみに、成績が良くない、良くない、と書いていますが、
どのくらい良くないかと言いますと、
「3年連続フィールドゴール成功率60%台」というくらい良くないです。
加えて、50ヤード以上の距離は、ようやく1998年に1回成功したのみでした。


翌年1999年と2000年は、再び激動の年。


まず、2月にカーディナルズを解雇されます。
しかし、3月に契約を結びなおして、再びカーディナルズ入りし、
そのままシーズン開幕を迎えます。


が、10月にウェイバーリストに載せられてしまいます。
そこを、ボルチモア・レイヴンズが拾いました。


しかし、結局試合出場の無いまま、11月に解雇されます。
すると、12月に、今度はレイダーズ入り。
ここで残り3試合に出場しました。


年が変わって2000年。
8月にレイダーズを解雇され、
9月にデンバー・ブロンコスと契約。


ブロンコスでは、3試合に出場しますが、
やはり、長い距離で決められないことがネックになったか、10月に解雇。
翌日(ってのも凄いですが)、カロライナ・パンサーズと契約します。


相変わらず、としか言いようがないですね。
「期待」と「結果」に、あまりにも差がありすぎる。


しかし、NFL入りして、このときまでで、既に5年が経過しているのですが、
その間、全くと言っていいほど結果を残してきていないのに、
まだまだ期待され続けている、というのは、
ある意味、ネドニーの「凄さ」なのかもしれません。


そして。


ようやく、本当に、ようやく、
ネドニーは、その期待に応えることが出来ます。


前述のようにパンサーズと契約したネドニーは、
この年、残りの全試合(12試合)に出場し続けることになりますが、
ここで、フィールドゴール成功率92.9%という、かつてない好成績を収めます。


特筆すべきは、40ヤード台で8回中7回成功、
そして、50ヤード以上で2回中2回成功と、
過去、全く結果の残せていなかった長い距離でのフィールドゴールを、
次々と成功させられたことでした。


いったい、ネドニーに何が起こったのか。
それは分かりません。


分かりませんが、「期待され続けてきた」ということは、
それだけの「能力」を、もともと持っていたということ。
ようやく、それを発揮できる「何か」をつかんだ、ということなのでしょう。


これでネドニーは、リーグでも有数のキッカーに成長・・・!
・・・となれば(話としても)良かったのですが、
人生、なかなかそう上手くいくものではありません。


シーズン終了後、この好成績を引っさげ、フリーエージェントとなったネドニーは、
テネシー・タイタンズと契約。
期待と直前の実績から、結構な高契約だったと思われます。


が、2001年・2002年と、
「過去ほど悪くはないが、さりとて良いというわけでもない」
という、そこそこの成績でシーズンを終えると、
2003年開幕戦(対レイダーズ)で思わぬ事態に。


この年最初のフィールドゴール(50ヤード)を決め、
次のキックオフのキックをしたところ、リターナーが非常に大きなリターン。
自分のいるところ(キックオフ地点)まで戻ってきたので、
ネドニーは、タックルをして、なんとかそれを止めたのでした。


このときに、ネドニーは怪我を負ってしまったのですが、
それが、膝の靭帯断裂という、結構重いもの。
当然、このシーズンは、インジャリーリザーブ入りして終了。
翌年に備えます。


そして、怪我も回復して、2004年の開幕も間近となった9月初め。
今度は、練習中にハムストリングスを痛め、
これも、手術が必要なほどの大怪我に。


結局、2年連続して、ほとんど試合に出場できないまま、
シーズンを終了することになってしまいました。
(このあたりの話は、5月25日の日記でも取り上げています)


そして今年、サラリーキャップに苦しんでいたタイタンズは、
高給のベテランを一気に解雇する、という荒療治に出ました。
そして、その「高給のベテラン」に、ネドニーも含まれていました。


ようやく「期待」に応えた成績をパンサーズで残せ、
その実績に応じた契約をタイタンズと結んだことが、
最後の最後に自分の首を絞めたとすると、
なんとも皮肉なものとしか言いようがありません。


そして3月、49ersと契約し、心機一転のシーズンを迎えようとしています。
(奇しくも、代わりに49ersを出ていったのが、最初に書いたピーターソンです)


・・・と、簡単にまとめることが出来ないくらい、
「波乱万丈」な経歴となっていますが、
結局は、今に至るまで、その高い「期待」には、
まだまだ応えきれていない、ということなのでしょう。


1995年にNFL入りしているわけですから、もう結構な「ベテラン」ですが、
解雇と契約を繰り返したり、怪我をしたりで、
「アクティブリスト」(試合出場可能リスト)に登録されたのは、
たったの90試合(ただしレギュラーシーズンのみ)しかありません。
毎年全試合に出場していれば、6年で到達する試合数です。


そういう意味でも、まだまだ自分の力を発揮できていない、
と本人も感じているでしょう。
とはいえ、いつまでも待っていてくれるほど、NFLは甘い世界ではありません。


今年こそ10年来の高い期待に応えるのだ、と発奮して、
是非、活躍をしてもらいたいものです。